こんにちは。ベティです。
日本では「芸術の秋」という言葉があるそうですね。今日はヴェネツィア、そしてロベルタにとっての「ART」「芸術」についてお話したいと思います。
ヴェネツィアでは芸術のシーズンは一般的に春の終わりに始まり、サマーホリデーシーズンに訪れる多くの観光客が参加できるようにさまざまな展覧会が開催され、9月に皆さんもご存じのリド島で行われるヴェネツィア国際映画祭で終わります。今年は、映画「スパイの妻」の最優秀監督賞、レオーネ・ダルジェント(銀獅子賞)が黒沢清氏に授与されました。
しかし、今年はすべての展覧会イベントが延期されたため、映画祭と同じリド島の会場で本来偶数年に開催される国際建築展覧会(ヴェネツィア建築ビエンナーレ)は、来年2021年に開催されることとなりました。
“Biennale”ビアンナーレとは、イタリア語で「二年に一度」を意味し、ヴェネツィア・ビアンナーレは、1895年に現代芸術の国際展覧会として始まりました。その後、1930年には音楽祭、1932年に世界で最初の映画祭が始まり、1934年に演劇と詩の祭典が、 1980年には建築展、1999年には舞踏祭が始まり、ビエンナーレの一部となっています。
これらのイベントに加えて、教会・劇場・宮殿・記念碑・アートギャラリー・博物館など、アートがいたるところにあるこの街で、「calli カリ」(通り)や「campiカンピ」(広場)でも、美術展、ミュージカル、演劇が常に開催されています。
このARTに溢れた街で生まれ育ち、幼い頃からヴェネツィアの劇場をこよなく愛し、自分で演劇の舞台装飾や脚本を作成していた創業者のシニョーラ・ジュリアーナは、第二次世界大戦中にルガーノで革製品の基本を学んだ経験を経て、終戦後にヴェネツィアに戻り、最初のバッグを作り上げました。バッグのパーツであるバックルやストラップ、そして図案化されたモチーフに至るまでトロンプルイユ(だまし絵)テクニックで表現するために、ヴァチカン御用達のBevilacqua工房で200年前の手織機(制作には一斉に3人が必要)により作り上げられたベルベットを生み出しました。それがその後のロベルタ ディ カメリーノの作品の特徴となりました。
同じトロンプルイユのテクニックは、襟・ボタン・ポケット・ベルト・袖口・ボトムスまでもがデザインされたプリントのパネルドレスにも見られます。「私のドレスは、長いセーターのように上からかぶるだけで完成する。」とシニョーラ・ジュリアーナは言い、彼女のアイデアの実現と印刷を最初に助けた偉大なテキスタイルプリントデザイナーであったロメオ・トニネッリによって、「イラストセーター」と定義されました。
彼女のデザインにはARTのセンスが溢れており、その実現のために当時のファッション界ではなかったテクニックを駆使する前進的なものでした。
シニョーラ・ジュリアーナのコレクションのプレゼンテーションとファッションショーは、ヴェネツィアのラグーンに所有していたポルヴェリエラ島で行われていました。そのショーは常に独創的でアイデアに溢れていました。
舞台演出家になりたかったシニョーラの才能がここにも開花していたと思います。ファッションデザインにARTを、そしてその作品を発表するのにもARTを取り入れた彼女のアイデアの根源は、ヴェネツィアのARTの精神が関わっていると確信できます。
1974年にニューヨークで彼女はサルバドール・ダリに会いました。
サルバドール・ダリは、私の人生で出会った有名人の1人です。私のパネルドレスを見て、ニューヨークでのプレゼンテーション中に、彼は言いました。『私がファッションでアートを見たのは初めてです。あなたはヴェネツィア人だと言われました。その街には多くの偉大な画家が生まれました。ですから、あなたが作っているアートでいっぱいのものについては不思議ではありません。ただしヴェネツィアの空気だけではなく、あなたはあなた自身の多くの才能によって、それを手に入れたのです。』