ロベルタ ディ カメリーノは、「バッグ」から始まったブランドです。
さて、その「はじまりのバッグ」とはどんなものだったのでしょうか。
疎開先のスイスでの小さな出来事
ヨーロッパ全土を焦土と化した第二次世界大戦中、創業者のジュリアーナ・カメリーノは家族と共に戦火を逃れてスイスで疎開生活を送っていました。そんなある日のことたまたま外出した時に持っていた革のバッグを見ず知らずの婦人に頼まれて売ることに。手にしたのは60フラン。
「このお金で新しいバッグを買いましょう。」しかし、彼女の望むデザインのバッグは見つかりません。それならばと、小さなころから手芸が好きで腕に覚えのある彼女は、自分で革を仕入れ、婦人に売ったバッグと同じ形のバッグを作り上げてしまいました。
この時彼女の中には「これもきっと欲しがる人が現れるに違いない。」という予感めいた気持ちが芽生えていたといいます。そして確かにそれは現実のものとなりました。
ジュリアーナ・カメリーノがこうしてデザイナーとしての一歩を踏み出したのは、1943年のことでした。
「はじまりのバッグ」セッキエロの誕生
ジュリアーナにイタリアでのミーティング時に筆者は尋ねたことがあります。
「ロベルタ ディ カメリーノの“はじまりのバッグ”は、どんな形をしていたのですか?」
その時にジュリアーナは、「飼い葉桶のような形のバッグよ」と答えてくれました。
私はバッグを売った。
もちろん、この時はまだ、自分がどんな仕掛けに火を点けたのか知る由もなかった。鞄の中身をスカーフに包んで家へ帰った。明日、どんなものでもいいからバッグを買おうと考えながら。けれども翌日、気に入るものはひとつも見つからなかった。
そして、不意に、ある考えが浮かぶ。自分でバッグを作れないかしら?新聞紙を使って試行錯誤を始める。型紙を作る必要があった。
私はそのとき、自分には生来そういう才能が備わっているのだと知った。それから必要なだけの革と、ひと巻きの鑞引きの糸と、かぎ針を買った。さらに真鍮の輪と肩ひも用の紐を見つけた。
三日後には、私は試作品として、自分のバッグを縫い上げていた。正直、それは美しい一品だった。
「きっとこれもみんなが買いたがるわ」
【ジュリアーナ・カメリーノ自叙伝“Come Roberta”より抜粋】
そうして初代のバッグ“セッキエロ(Secchiello)”<イタリア語で“小さいバケツ”という意味>は誕生し、1945年の終戦後にヴェネツィアに戻ったジュリアーナは「挑戦」を「ゲーム」と言い切る自信を身に付け、当時のファッションに新しいバッグのアイデアを次々と実現してゆくのです。
「本当の仕事というのは、他の人が諦めたところから始まる」
ジュリアーナのこの言葉は、現在でもロベルタ ディ カメリーノのブランドスピリッツそのものです。